永代供養

 当山ではこのたび、横浜市内を一望し、正面には富士山を望み、風光明媚な久保山墓地内に、永代供養塔、”霊山堂”を建設いたしました。諸々の事情で、墓地取得の困難な方や、今後、無縁墓地になることが予想される方の爲に、幅広くご利用頂ける施設でございます

永代供養塔”霊山堂”


永代供養塔”霊山堂”落慶式

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<<報道関係>>
◆開拓労働者まつる供養塔口常清寺(横浜市)横浜市の久保山墓所内に二十六日、横浜開拓の労働従事者らをまつる新しい永代供養塔を建立した。初代吉田勘兵衛による江戸時代の吉田新田(現伊勢佐木町一帯)開発従事者や関東大震災、横浜大空襲の犠牲者らをまつった供養塔が老朽化したため、吉田家筆頭総代の吉田貞一郎氏らが協力し建て替えた。市有地にあり、墓地取得の難しい人など一般市民も利用できる。
日本経済新聞

◆横浜市南区の常清寺に、江戸時代の新田開発の際に働いた人や関束大震災、横浜大空襲で被災した無縁仏を祭った永代供養塔が完成し二十六日、開眼法要が行われた。常清寺は、もともと現在の同市中区伊勢佐木町辺りにあり、江戸前期、入り江になっていた周辺一帯を埋め立てて新田開発に尽力した初代吉田勘兵衛良信が、新田守護のために建立した。一八七二年(明治五年)に、現在の場所に移ると同時に供養塔も移転。その後、関東大震災、横浜大空襲の被災者らも合祀し、計約五百体が祭られている。
しかし、石でできた供養塔が老朽化してきたため、片山慶宣住職が檀家に協力を呼びかけ、鉄筋コンクリート平屋建て地下一階、広さ三十三平方bの供養塔を建設した。二十六日は吉田勘兵衛良信の命日。檀家の約十五人が見守るなか、本堂にあった仏像が安置され、片山住職らが経を唱えて法要が営まれた。供養塔は一般にも開放されることになっており、片山住職は「先祖の供養に利用してもらえれば」と話している。

読売新聞

◆久保山墓地に永代供養施設を建立日蓮宗常清寺(横浜市南区清水ケ丘、片山慶宣住職)は、久保山墓地内に永代供養施設の霊山堂を建立した"写真。
横浜市民の仏教徒で、墓地取得の困難な人たちを対象に永代使用希望者の受け付けを始めた。同寺は「吉田新田」を開墾した吉田勘兵衛が1676年に、同新田守護のため創建した。1874年の久保山墓地開所に合わせ、当時、中区長者町にあった同寺の墓地が久保山墓地内に移された。

神奈川新聞


永代供養塔”霊山堂”ご利用にあたって

霊山堂ご利用料金

供養塔利用費用(一霊位)
合祀 二十万円 (ご遺骨を、お持ちになり当山本堂にて法要後、供養塔に合祀)
三回忌 三十万円 (三回忌まで当山納骨堂にて、毎朝ご回向し、三回忌法要終了後、供養塔に合祀)
十七回忌 五十万円 (三回忌まで当山納骨堂にて、毎朝ご回向し、三回忌法要終了後、供養塔に移動、十七回忌後、合祀)
三十三回忌 壱百萬円 (三回忌まで当山納骨堂にて、毎朝ご回向し、三回忌法要終了後、供養塔に移動、三十三回忌後、合祀)
ご夫婦にて利用の場合
十七回忌 九十万円(三回忌まで当山納骨堂にて、毎朝ご回向し三回忌法要終了後、供養塔に移動、但し合祀は後日亡くなった方の十七回忌以後に、御二人ご一緒に合祀致します)
三十三回忌 百七十万円(三回忌まで当山納骨堂にて、毎朝ご回向し三回忌法要終了後、供養塔に移動、但し合祀は後日亡くなった方の三十三回忌以後に、御二人ご一緒に合祀致します)
現在御使用している基地より移動の場舎
ご先祖様を直ちに合祀の場舎(五霊位以内)百万円
ご先祖様を直ちに合祀の場合(五霊位以上、一霊位十万円加算)
お子様が無く、ご夫婦とご一緒に十七回忌以後、合祀の場合、百五十万円(五霊位以上、一霊位十万円加算)
お子様が無く、ご夫婦とご一緒に三十三回忌以後、合祀の場合二百五十万円(五霊位以上、一霊位十万円加算)
遺骨をお持ち戴いた際、ご希望により
納骨法要を厳修致します。
・本堂にて追善法要  お布施三万円
・供養塔にて埋葬法要 お布施二万円
・本堂と供養塔の両方を希望  お布施五万円
・お塔婆希望の方 一本三千円

栄玉山 常清寺
〒232-0007 横浜市南区清水ケ丘231
TEL 045-231-8662 / FAX 045-231-3028

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