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清正公堂について
南区清水ケ丘にある栄玉山常清寺は戦前、長者町にあり、その境内に清正公堂がありました。地元の方々が気軽に公堂に立ち寄り開運を願うなどできましたが、戦災で寺が焼失、現在の清水ヶ丘に移転しました。戦災を免れた清正公堂の周辺は盛り場として栄えましたが、お堂の維持管理が困難になり、1978年には常清寺の側へ、現在は「清正公街飲食街」という名前を残すのみとなっていました。 |
清正公堂 |
公堂のために土地を提供し、公堂を建設したのは、中区伊勢佐木町、南区真金金町、同区高根が町など一帯を埋め立て、吉田新田を完成させた吉田勘兵衛の十二代目、吉田興産社長吉田貞一郎さん。「横浜の発展の基礎を築いた先祖の意思を継ぎ、「地盤沈下」などとも言われる伊勢佐木町界わいの商況などをもう一度よみがえらせたかった」と吉田氏。
公堂は建築面積約23平方b。傍らには、病よけの浄行菩薩も設置されています。平成10年2月28日に「開堂供養、浄行菩薩開眼法要」の儀式を行いまして、現在は一般の方に公開されております。 |
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浄行菩薩 |
浄行菩薩について
清正公堂と並んで奉安している石造りの「浄行菩薩」は、「生存者を愛し、いつくしんで楽を与え、生存者をあわれみいたんで苦を除き清らかな心で生存者を救済する。」と説かれているように、地涌の菩薩の中で、特に、浄行菩薩は霊験あらたかな菩薩と言われております。菩薩像のそばに浄水とタワシを備えおき、水をそそぎタワシで洗う。そこで一名を「洗い仏」とも呼んでいるが浄行菩薩は生存者の身体に楽を与え、苦を除く神通力を発揮する菩薩様で例えて言えば足の悪い人は浄行菩薩の足の部分を念入りに洗い願をかければその希望をかなえてくれる腰を病む人は浄行菩薩の腰の部分を、背中の痛い人は背中を胸の悪い人は胸の部分をよく洗い磨きたて強く念ずれば、必ずや祈願が満足すると言われております。 |
平成十年二月吉日
吉田家 |
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